引っ越しをした。引っ越しの片付けついでに、色々要らないモノをふるい分けた。
家の大きさは当たり前だが有限だ。なのに僕らは消費をするものだから、モノが家の中に蓄積されていく。いずれキャパシティがいっぱいになってしまうのは目に見えている。だから、古くてもう使わないモノを、勇気を持って「要らない」側に分けていく。持ち物のかさが少しずつ減っていくのが分かる。
要らないモノを見つけていく度に、自分の精神の中にあった澱んだモノも流れていく気がする。モノと記憶は結びつく。だから、要らない持ち物を捨てると要らないネガティブな記憶もどこかへ行ってしまうのだろう。
クローゼットの中を整理してたら、なんと今は亡き"SuperASCII"が!
表紙を見ると「Win95か?NT4.0か?」なんて懐かしい特集をやっている。もちろんどこをみてもGoogleのグの字も出ていないであろう。あの頃はPCの情報を追っかけるのが楽しかった記憶がある。
紐でくくって捨てることにした。ごめんね、いつまでもスペースを与える訳にはいかないんだ。