2006年01月01日

融通無碍の道

新年早速、「雪斎の随想録」にアクセスする。本年最初の記事冒頭にある勝海舟の言葉が味わい深い。そのまま転記させていただく。

「主義といい、道といって、必ずこれのみと断定するのは、おれは昔から好まない。単に道といっても、道には、大小厚薄濃淡の差がある。しかるにその一つを揚げて、他を排斥するのは、おれの取らないところだ。人が来て囂々とおれを責めるときには、おれは『そうだろう』と答えておいて争わない。そして後から精密に考えてその大小を比較し、この上にもさらに上があるだろうと想うと、実に愉快で堪えられない。もしわが守るところが大道であるなら、他の小道は小道として放っておけばよいではないか。智慧の研究は棺の蓋をするときに終わるのだ。こういう考えを始終持っていると実に面白いョ」。
―勝海舟著『氷川清話』―

この言葉を読んで、「融通無碍」の言葉が思い浮かんだ。融通無碍は広辞苑によると「一定の考え方にとらわれることなく、どんな事態にもとどこおりなく対応できる事。」とある。こんな考え方は、口では簡単だろうが難しい。人はすべからく、何かしらのバイアスがかかっているものだからである。

勝海舟は、幕府の枠組みを超えて「日本」を考えた人である。私が想像するに、おそらく幕府の政権担当能力を見切ってしまったのだろう。江戸幕府末期における彼は「政権の穏やかな終わらせ方」を求めて行動していたように思える。その中で何と言っても、江戸城無血開城はファインプレーだったろう。
但し、幕末における彼の行動、そして維新後栄誉を受けた事などには厳しい批判が多かった。最大の批判者は福沢諭吉である(Wikipediaの勝海舟の記事における「痩我慢の説」の一項が分かりやすいか)。見る人によっては、変節・裏切りと見えるのだ。勝自身にとっては、どちらも徳川家のため、日本のためであっただろうが。

人は一貫性に弱い

人間は自分の信念や態度を首尾一貫して見せようとする傾向があるようだ。とある本に拠れば、一貫性を保つのにはこれらの理由があるそうだ。

(1)日々発生する複雑な出来事に、いちいち悩まされないで済む。
「一歩足を踏み出す」のは結構難しい事だと思う。一番分かりやすいのが株式相場だろう。「ここは買いか?」「この局面は売りか?」と、その場その場の判断が難しい。この時、信念と言うか定まったやり方があれば行動に移しやすくなる。
株式に限らず、「こんなときは必ずこれ」と約束事を決めている人は多いのではないだろうか?

(2)一貫性を保つ方が、人から好感を持たれる。
「頑固な奴」も一面では誉め言葉だったりする。遊泳術に長けてる人よりは好かれるもの。

(3)一般に「言ってる事が首尾一貫している人間は信用がおける」と考えられている。
一貫して同じ事を言いつづける人の方が、論理的で破綻が無く、信用がおけると思われる。
金融の世界で一貫性の代表例と言えば、「カリスマディーラー」藤巻健史氏であろう。ずっと「円安」と言い続けている。ちっとも当たりませんが(笑)

だが、世の状況が刻々と変わる中で、一貫性を保つ事は必ずしも合理的行動ではない。勝海舟が冒頭の語った言葉は、言わばこれら3つの否定である。

「断定する」人々よさらば

しかしながら、 常に「精密に考えてその大小を比較し、この上にもさらに上があるだろう」と思考を続けるのは決して容易ではない。人に存在する何らかのバイアスがそれを妨げるし、昨日と今日とで意見を変える事はいろんなリスクを負う。最大のリスクは、(やはり)変節・裏切りと言われる事だろうか。

さて雪斎先生だが、保守論壇からの決別を宣言されている。

2005年は、雪斎には、「保守論壇」からの完全撤退の年と位置付けられるであろう。「熱狂的な人、狂言的な人物をわれわれが警戒するのは、その中に『おもいやり』のなさを嗅ぎ付けるからだろう」というホッファーの言葉は、そのまま保守論壇からの撤退の理由でもある。意見を異にする人物への敬意や尊重も置き去りにしてしまったような空間に、雪斎が敢えて身を置き続けなければならない理屈はない。そこは、「美しくない」のである。
言論における「美しさ」とは…@雪斎の随想録

雪斎先生のblogをずっと拝見させて頂いてるが、(主に皇位継承問題で)随分論難を浴びせられているようだ。だから「逃げる」訳ではないのだけれど、どうやら「主義といい、道といって、必ずこれのみと断定する」人々から距離をおきたいとお思いのようである。何となく、右と左に妙にイデオロギッシュな連中が吹き溜まってように見える今日この頃。居心地がきっと悪いのだと思う。ご英断を支持したい。 

21世紀は「主義といい、道といって、必ずこれのみと断定する」時代ではなくなったはずではなかったか。我々は「一貫性の罠」から抜け出なくてはならない。「精密に考えてその大小を比較し、この上にもさらに上があるだろう」と常に思いながら過ごして行きたい。本年も宜しくお願い申し上げます。

参考

新年のご挨拶@雪斎の随想録
言論における「美しさ」とは…@雪斎の随想録
あなたはなぜ株で儲けられないのか―市場と株式投資の人間学 山崎和邦著・・・あんまりいい本ではないけど

posted by やすゆき at 22:17| Comment(5) | TrackBack(0) | 社会面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 トラックバック、コメントを有り難うございます。
 明治時代の「旧幕臣」、「旧佐幕藩士族」の生き方には、かなり思い入れがあります。その中でも、勝海舟という人物の足跡には、惹かれるものがあります。
 尚、勝海舟の言葉にある「人が来て囂々とおれを責めるときには、おれは『そうだろう』と答えておいて争わない」というのは、言論家としての拙者の信条でもあります。大体、自分が「論争」に勝ったか負けたかなどは、どうでもよいことではありませんか。無駄なことや些事には関わらないだけのことです。
Posted by 雪斎 at 2006年01月02日 04:47
雪斎先生、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

>自分が「論争」に勝ったか負けたかなどは、どうでもよいことではありませんか。
その通りですね。国家の命運が正に決まろうとする局面での論争は、その勝敗が非常に重要でしょうが、こと「自分」にとってはさしてどうでもよいことですね。
Posted by やすゆき at 2006年01月02日 20:44
やれやれ・・・飛んだところに海舟先生も引っ張り出されたものですね・・・・
Posted by toumeinahito at 2006年01月05日 21:58
大変興味深く読ませて頂きました。
「融通無碍」で検索してたどり着いたのですが、勝海舟の言葉まで知ることができて(初めて知りました。浅学を恥じてます・・・)、とても嬉しく思います(^^)

自分が何の為にどのスタンスで立ち続けるのか?
深くて、楽しい。
本当に楽しかったです。
また楽しい記事期待してます。

> toumeinahitoさん
「とんだ」は「飛んだ」と書いてもいいのですね?
なるほど〜、こちらも勉強になりました(^^;
Posted by バスキア at 2006年01月20日 01:09
融通無碍の意味を調べていてこのページにたどり着きました。
非常にわかりやすい説明で、参考になりました、ありがとうございます^^

特に「人は一貫性に弱い」の
三項目が非常に興味深かったです。

確かにその通りですね。
Posted by Ryo at 2011年01月25日 05:33
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