2009年03月03日

就職氷河期今昔

矢野はいつも個人的な感情は表に出さないようにしているのですが、この講義の最終回の日はとてもつらかったです。矢野の講義を受けた学生さんたちは主に1年生から2年生なのですが、彼らがこれから体験する過酷な現実を思うと泣きたい気持ちでした。

・・・いや、40歳近いおっさんなので泣いたりしませんけど・・・

最終日はいつもより少し早めに校舎に到着し、しばらくどんより曇った空を眺め、そして、楽しそうなふりをして教室に入りました。

これからの彼らの過酷な状況を生み出すことになる原因の大部分はマクロ経済政策の失敗です。その失敗の責めを何の責任もない彼ら若い人たちが集中的に受けなければならないという事実を考えると今もとてもつらいというのが正直な思いです。
(一年間「経済学入門」を担当したので最後に「まとめ」 - ハリ・セルダンになりたくて)
(強調は引用者による)

少し自分の事を話させて欲しい。

私は大阪にある某単科大学に通っていた。工学系だった。実家通いでしかも実家は神戸だったので、バスとJRとバスを乗り継ぐ遠距離通学だった。新快速なんてものがなければあり得ない(w
僕が3回生になる頃、
「僕らより2つ上の代の就職成績がホントに良くなかった。一つ上の代(4回生)の就職状況は、先生方の努力もあって何とか盛り返している」
との話を聞いた。
「昔はとりあえず就職したければ松下の子会社とかいっぱい口が有ったんやけどなぁ」
との愚痴も聞かれた。

私のような神戸人にとってまずかったのは、1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生したことである。私はこれから就職活動を始めるタイミングだったのだが、もう神戸方面の就職は絶望的に思われた。内定取り消しのニュースが多発したのを記憶している。
私の就職活動時期から数年後、新聞には「就職氷河期」の文字が躍るようになる。

何とか大阪市内の小企業の仕事にありつくことができた。だが典型的なダメダメ企業だったことにすぐ気がついた。根本的に技術力の足らない会社だった(w 就職活動の立ち回りが下手くそであったかも知れないが。
それでも4年9ヶ月は頑張って働いたが、我慢ならなくなった。
辞めて派遣になり、計2社の仕事をしていた。どちらも製品の試作と実験の日々。派遣先は割と一流企業であった(どちらも上場企業でした)。正社員でボロボロの会社、派遣で一流会社、皮肉なもんである。でもむしろ派遣の日々の方が楽しかったと思う。これまた派遣の総合計で4年9ヶ月ほど働いていた。

ただやっぱし派遣の身分は不安定なのは事実。某製品のプロジェクトの開発費用が出ないことを理由にカットされることとなった。それで正社員の職を探すこととなった。
何とか大阪の企業に入ることができた。小企業の常であろう、やはりダメダメなところが目に付いた。何とか改善してやろう!と意気込んだ。だが入ったばかりの新米に何ができるだろう。それに碌にOJTしてくれないんだよね、ほったらかし(愚痴)

心がおかしくなった。ただいまうつで休職中である。人生色々ありますね。
でも休職中だからこそ、こうやってゆっくりブログを書ける面もある。ブログで心のリハビリ、ってできるもんだろうか?

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私の就職活動時期の数年前から少しずつ日本の就職事情は悪くなっていたようだ。これも「マクロ経済政策の失敗」なのだろうか?今から就職活動に挑む後輩達が気の毒である。これも「マクロ経済政策の失敗」故なのだろう。むろん、アメリカ発の経済失速の影響もあるが。
顔も知らない僕の後輩達のために心を痛めている。

posted by やすゆき at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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