2009年11月30日

モノと記憶

引っ越しをした。引っ越しの片付けついでに、色々要らないモノをふるい分けた。
家の大きさは当たり前だが有限だ。なのに僕らは消費をするものだから、モノが家の中に蓄積されていく。いずれキャパシティがいっぱいになってしまうのは目に見えている。だから、古くてもう使わないモノを、勇気を持って「要らない」側に分けていく。持ち物のかさが少しずつ減っていくのが分かる。

要らないモノを見つけていく度に、自分の精神の中にあった澱んだモノも流れていく気がする。モノと記憶は結びつく。だから、要らない持ち物を捨てると要らないネガティブな記憶もどこかへ行ってしまうのだろう。

クローゼットの中を整理してたら、なんと今は亡き"SuperASCII"が!
表紙を見ると「Win95か?NT4.0か?」なんて懐かしい特集をやっている。もちろんどこをみてもGoogleのグの字も出ていないであろう。あの頃はPCの情報を追っかけるのが楽しかった記憶がある。
紐でくくって捨てることにした。ごめんね、いつまでもスペースを与える訳にはいかないんだ。

もちろん、捨てるのに忍びないモノもある。捨てるべきかどうか迷うモノもある。
クローゼットの中から、亡き父のジャケットや亡き祖父のコートなどが出てきた。母は言う、「まだ捨ててしまうには可哀想だからね」。どう処置するかは母に任せた。多分別のスペースを捻出して、そこに仕舞うのだろう。
クローゼットの中からは、古いアルバムも出てきた。
セピア色した写真の中で、若かりし頃の父が微笑んでいた。モノと記憶の結びつきが顕著なのは、やはり写真だろう。アルバムは大切に保管することにした。

父のことをふと思い出した。父は三年前に肝臓癌で亡くなった。闘病は長く続き、髪は真っ白になり、衰えていった。あまり僕は熱心に見舞いに行くことなかった。唯一の父なのに。亡くなったあとに思うのである。もっと見舞いに行けなかったのか?もっと父を喜ばすようなことは出来なかったのか?もっと親孝行は出来なかったのか?
人間が不器用だからか、父と腹を割って話すことが出来なかった。父も不器用な人間だから僕と腹を割って話さなかった。
もし時間を巻き戻すことが許されるのであれば、父と一緒に酒を飲みたい。

どうしても捨てられない大切な写真、大切な記念品。これらはきっと忘れてはいけない記憶。大切な亡き祖父、亡き父の記憶。

posted by やすゆき at 21:48| Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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Posted by 旅 好き のブ ログでございます at 2009年12月01日 07:27
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