2009年12月13日

【書評】司馬遼太郎 歴史歓談

この本は、中央公論社発行の雑誌・書籍に掲載された司馬遼太郎と各氏との対談や座談会の記録集である。その中で「司馬史観」を存分に味わえる趣向だ。

対談は古い。1964年12月から1993年1月までに発表された対談であるから、時論としては湾岸戦争の辺りまでとなる。それでも、日本の一流どころの文化人・知識人が動員されているし、三島由紀夫や湯川秀樹・岡本太郎といった面々までラインナップされているから、様々な読み方が可能だろう。
扱う時代も幅広い。縄文・弥生から、日本の古代、中世から明治維新、そして20世紀末までありとあらゆるテーマが詰まっている。読書感想文として、全部を取り扱う訳にはさすがにいかない。

司馬遼太郎は、縄文人や弥生人がどのような形で日本人の起源となっていったかに深い興味があったようである。
縄文土器の過剰装飾を「バロック的」と表現している。対談の中で、縄文は北方に繋がり、東国・関東に定着していったとする。日光東照宮のような、ゴテゴテとした建築趣味のルーツを縄文に求める発想をしている。
一方、弥生文化の特徴を「簡素美」とし、それは関西・西国に定着していったと考えている。
司馬遼太郎は、東日本と西日本の対立構造で歴史を捉えていくのが好きなのだが、それを縄文と弥生との関係性に求めていたようだ。

さて、話は湾岸戦争の頃の飛ぶ。
イギリスの外交官・ヒュー・コータッツィ氏との対談の中で、日本社会党の湾岸戦争への対応に憂慮を表明する下りがある。

コータッツィ それと私が今、心配しているのは日米関係です。湾岸戦争に関連していることですが、議会で支援策が失敗したりしたら、日米関係がすごく悪くなってしまう。その点、私は日本社会党の態度が全く理解できません。
司馬 わからないですね。
コータッツィ 土井委員長というのはどうしようもない。土井たか子女史がバグダッドへ行ったことなど何の意味もありません。
司馬 つまり世界とか国家というものがわからない人が野党席にいるのです。国家は与党を運営せよ、野党は民衆だ、というところがありますが、これは観念です。国家は具体的ですから、気の毒な人を救いに行け、というのを観念で足を引っ張る。
政府が近所の八百屋の親父に「お前は中近東に大根をもっていけ」と命令することは出来ません。当たり前です。それと同じレベルで、日本航空や全日空に政府が命令する権利はない。政府が命じることができるのは、国家公務員だけですから、自衛隊機だけということになります。こういう当たり前のことが大がかりに憲法論になったり、平和国家の教義論になったりすることは、どうもおかしい。

我々は、その当時の日本外交の顛末を知っている。結局、小切手外交に堕してしまった挙げ句に、どの国からも感謝されない結果になったことを知っている。そして慌てて掃海艇を出すことになったことも知っている。その当時から、我が国は国家がわからない困った野党をもっていたのである。
そしてその「国家がわからない野党」の末裔が、現在の連立政権内にいることに嘆息せざるを得ない。巷間を騒がす普天間基地移設問題は社会党の末裔が掻き回している、といった見方も出来るだろう(もちろん、移設見直しの言い出しっぺが一番責任があるが)。
連立政権の混乱ぶりを見ると、国家のことを考えてくれるしっかりした野党を持ってこなかった不幸を今味わっているのだと感じる。

過去の歴史はやっぱり現在に通じる、と改めて思わせてくれた。内容は古いが、良書。

posted by やすゆき at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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