2005年04月09日

法王選びはソ連・書記長選びと似てる?

ローマ法王が亡くなってから暫くたちますが、まだ後任は決まってないようですね。今もシスチナ礼拝堂に篭ってコンクラーベ。その間、外界の接触を一切絶つと言いますから、枢機卿も大変です。「コンクラーベは根競べ」とはその通り、ウマイ!
しかし、遺体を見せちゃうんですね。高い台の上に亡骸を置いちゃうのは、日本人の感覚を超えている。日本だったら棺に納めて、人目に晒すようなことはしませんね。「お顔を拝見させていただきます」とか言って、棺の蓋を少し開けることはありますけど。この辺り、死生観の違いの問題とかがあるでしょう。

法王の遺体が板の上に乗せられ、静々と礼拝堂に運ばれている映像を見て、「なんかそう言えば似たような光景を昔見たな」と思いました。何だっただろう、何だったっけなぁ・・・・あっ思い出したブレジネフの葬儀だ。
レオニード・イリイーチ・ブレジネフが死んだのは1982年の11月ですから、自分はまだ小学生。あの時も、遺体を見せながら赤の広場(だったかな?)を行進してました。子供心にも「悪趣味」だと感じたのを覚えてます。何といいますか小学生だったけど、ボスが偉そうにしてる変な国って思いましたね。既に「悪の帝国」のイメージが頭の中にあった。「こんな国、長続きするの?」と父さんに聞いたことがある。そのとき父は何も答えず「???」的な顔をしてました。思えば、こんな大人でも答えるのが難しい質問するガキはヤな奴だったでしょう。
#ごめんなさい>父さん

さて、ブレジネフの死後、アンドロポフチェルネンコと短命な書記長が続きました。一番最後がゴルバチョフで、ソ連の崩壊が1991年末頃の話ですから、10年ほどの間に結構コロコロ代わったことになります。

誰をえらぶか、各カーデイナルは公表できないゆえコンクラーべは予想不可能なのである。投票ごとに絞ってゆき、最後にのこった二人が決選投票ってこともありうる。故法王も選ばれるまで無名でした。傾向として当たりそうな条件はトシヨリでリベラル、できれば今度はイタリアン……でしょうか。枢機卿にだってぶっちゃけた話しはある、長生きされると困るんだ。
(「コンクラーベは根競べ」安達正興のハード@コラムより、下線部筆者)

高齢の書記長が続いたのも「長生きされると困るから」だったのかも知れませんゾ。

posted by やすゆき at 21:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 国際面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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