2005年07月30日

「憂国の士」は嫌いです

随分前の雪斎先生の記事にTBを送る事にする。「大和魂また我国の一手独専に非ず」随分前の記事(2週間も前)を読んで、とても感銘したのだけれど、自分が遅筆家である事も手伝って、なかなか関連した記事を書けなかった。

雪斎は、自ら「保守主義者」を名乗る人物と同様、自ら「憂国の士」であると称する人物も、心底では信用しないことにしている。

私もそうである。国を憂えるより先に、わが身を憂えた方がいいんじゃないか、って人もいる。えっ、私もその口ですって?(笑)

中庸が大事

「憂国の士が国を滅ぼす」と言ったのが勝海舟であったことを、先にあげた記事で知った。確かに、憂国の士が吐く極論が国を滅ぼすのであろう。答はいつも中庸にあるのに。
その勝海舟、幕閣の保守派からは疎まれ、維新後栄達すれば裏切り者と言われ、その人生なかなか大変だったと思う。彼自身、旗本として徳川家には十分尽くした。その一方、徳川幕府システムの老朽化も見えていたのだろう。幕府に政権担当能力がなくなってきていることを感じていたのだと思う。徳川家に尽くしながらも、徳川家を政治の表舞台からうまく退かせる、これは大変微妙な立場である(故に、色々悪口言われるのだろう)。あの時代、徹底して佐幕か徹底して勤王・倒幕かどちらか旗幟鮮明にしたほうが、楽だったと思う。でも彼は、徳川への忠誠と言う意味で佐幕的であり、新しい政体を模索すると言う意味で倒幕的で、相反するものを内に秘めていたと思うのである。彼もやはり、「中庸の人」だったのだ。
戊辰戦争と言う「内戦」が最小限度の戦火ですんだのも、勝海舟のおかげである。彼のことは、もっと評価されて良い。

ところで、同じく雪斎先生の記事では、 読売新聞の「2・26事件、将校ら17人の遺書発見」 の記事に触れている。雪斎先生は、

しかし、この栗原中尉の辞世の句には、自らの行為が昭和天皇の「股肱の臣」を奪い、帝の宸襟を悩ませたという結果に対する認識は、微塵も伺えない。

と反乱将校を批判されている。私も、この手の連中は偏狭な連中だと思うし、彼らには生理的嫌悪感さえも感じる。
一方で、この連中を生み出したものは、昭和恐慌に端を発する経済的苦境であり、マスコミなどが醸成した世相であると思っているのだが、この私の歴史認識どうでしょう?言わば、貧すれば鈍する、か。「中庸」の思想ができなくなってしまうのだろう。

偏狭な思想にはまるメカニズム

極端・偏狭な思想をアルコールに例えたのは、かの司馬遼太郎であったか。「思想に酩酊できる体質の人間が(わずかながら)居る」と言うのである。
しかも、思想は酔えたら何でも良いらしい。確かに、共産主義から反共に転向した人も居る。戦時中に国粋主義者だった人が、戦後は共産党のビラを配っていた、なんて話もある。ちょっと、変な新興宗教にはまる人とメンタリティが似てるのだろうか。

これとは別に、極端・偏狭な思想に人がはまるメカニズムを、代表性ヒューリスティックという心理学の言葉で上手く説明できないだろうか、と思ったりする。代表性ヒューリスティックとは、少ないデータの特徴的な部分から過大な確信をもって判断を下してしまう傾向の事である。ヒューリスティックとは、「意思決定の簡便法」と言う意味だそうだ。
#代表性ヒューリスティックの解説は、「山崎元のオトナのマネー運用塾」山崎元著より引用しました。
例えば、最近極端な反中派・反韓派がネットで増殖しているみたいだが、一部の悪い情報をもって「過大な確信」をもってしまってるのではないだろうか。或いは、極端な主張のサイトしか廻っていなければ、それで「過大な確信」を持つのだろう。そもそも極論とは、ある事象の一面だけ大きく取り上げて主張する事であるから、極論しか目にしなければ極論に染まるのも至極当然かもしれないが。
#ここでいつも思うのは、「ネット世論」と現実の世論の乖離。ネットで価値観を養う人と、それ以外の人がいるが、後者の方が圧倒的多数であることを念頭におかないと間違えるだろう。

さらに、極端・偏狭な思想に人がはまるメカニズムを「コスト」の視点で説明できないだろうか、とも思ったりする。つまり、"はまる"人は考えるコスト(時間・労力・手間)をかけてないんじゃないか、と言う仮説である。つまり、他人の思想をそのまま受け入れやすいのではないかと。

この辺り、実はちゃんとした研究があるのかもしれないし、(もし、なされてないなら)研究する価値はあると思っている。私の手には、もう負えない(笑)

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ともかく、極論に走る偏狭な憂国の士みたいな手合いとは、距離を置きたいものです。

posted by やすゆき at 01:33| Comment(5) | TrackBack(0) | 社会面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
どうも、ありがとうございます。
政治学の世界では次のような図式があります。横軸は「社会への態度」(変化を受け入れるかどうか)、縦軸は「個人のメンタリティ」(柔和か強硬か)という仕分けです。
 この図式でいえば、「個人のメンタリティ」はさほど変わらない以上、ヨコへの移動はありえても、タテへの移動はない。自由主義者は、保守主義者になることはあって急進主義者にはならない。反動主義者は、急進主義者になることはあって保守主義者にはならない。因みに、急進主義者は共産主義者、反動主義者は国家主義者と読み替えられます。

 自由主義者 ⇔ 保守主義者
   | |
 急進主義者 ⇔ 反動主義者

 「憂国の士」とか「保守主義者」と自ら称する人々の実態は、この図式における「反動主義者」です。それは「メンタリティ」において「急進(共産)主義者」と大差ないわけです。「自由主義者」と「保守主義者」は、柔軟な精神を特徴としている点では共通したものです。
Posted by 雪斎 at 2005年07月30日 11:10
雪斎殿、おはようございます。大変親切な解説、有難うございました。
極右と極左は、馬蹄の先のようなもの(つまり、案外近い)と言いますね。私がこの記事で挙げた例は、精神に硬直性の見られる人間が、一方の極からもう一方の極へスイングしている現象に過ぎないと考えられますね。

ネット(ブログ)が、精神が硬直した人間を量産する装置にならないことを希望しているのですが。でも、現実は私の希望どおりになってないのではないかと懸念します。
Posted by やすゆき at 2005年07月30日 12:11
こちらも参考にしてください。
今、ネットの世界で威勢がいいのは、D層ですね。

http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_2.html

http://sessai.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_5.html


Posted by 雪斎 at 2005年07月30日 12:33
雪斎殿、有難うございます。よく読んで、参考にさせていただきます。
Posted by やすゆき at 2005年07月31日 00:02
あなたは誤解しておられる
勝海舟は「憂国の士」ということは言っていない。
正しくは
「忠義の士というのがあつて、これらが国を滅ぼしてしまうのだよ」です。
だから「俺みたいな大不忠者がいないといけない」と続けています。
Posted by 治 at 2015年12月12日 11:26
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